19人(女性3人)でした。
体育館の外は涼しかったですが、中は昼間の熱で暑かったです。
また新しい人が参加してくれました。
掲示板に投稿してくれたネダさん(女性)。
バドは投稿にある通りです。初めて6年位だそうですが、ひじょうに上手でした。
ぜひまた参加してください。
タチザキさん親子、久し振りでした。
長嶋茂雄さん死去 89歳 プロ野球・巨人軍終身名誉監督
ついにこの日が来てしまいました。訃報を知って泣いている人は数多いと思います。
アテネ五輪のジャパン監督のとき、予選突破し、これから五輪本番というときに脳梗塞で倒れ、本番のときの監督は叶いませんでした。
脳梗塞になってからの雰囲気は前の明るい雰囲気とはだいぶ変わってしまい、残念な思いがありました。しかし、リハビリを一生懸命頑張っている姿は心に響くものがありました。
長嶋さんが現役の頃はあまり娯楽がなく、世のオヤジ達はビールを飲みながら巨人戦をテレビで見るのがひとつの楽しみでした。たわしもそのときは子供でしたが、おのずと巨人ファンになりました。
そこで輝いていたのが、ON(王、長嶋)コンビでした。
引退試合のときは、たわしは中学生でしたが、テレビで見ていて、そのときの記憶が今でも鮮明に頭に残っています。
有名な最後のファンへの挨拶「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来…….私は、今日、引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です!」ですが、たわしはそのアイサツを今でもだいたい言えます。
長嶋さんは王さんほどの記録を残したわけではありませんが、華麗な守備とチャンスに強い記憶に残る選手でした。
ときにはショートゴロを横から捕球したり、豪快に空振りをしたときにヘルメットを飛ばしたり、ファンを楽しませることを惜しまない人でもありました。
そして誰からも愛される天然キャラでもありました。
~長嶋さん爆笑名言~
・アメリカに初めて行った時マクドナルドを見て「アメリカにも進出してるんだなー」と言っていた。
・アメリカで「こっちの子は英語が上手いなぁ」「こっちは外車ばかりだねぇ、さすがアメリカだ」と言っていた。
・アメリカに行った際アメリカ人に「英語でベースボールは何て訳すの?」と質問していた。
・新車を購入したが、すぐに調子が悪いとメーカーに苦情を言ったが「サイドブレーキを引いたまま」だった。
・長嶋さんと同じ誕生日なんです。とファンに言われ「へ~、で、貴方の誕生日はいつ?」と質問。
・監督復帰の記者会見時「僕は12年間漏電していたんですよ」と発言。(充電の間違い)
・好きな番号は何ですか?の問いに「ラッキーセブンの3!」と即答。
・試合直前にミスターの靴下が片方なく大騒ぎになったが、もう片方の足に2枚履いていた。
・流れている音楽に耳を傾け「君が代はいいですねぇ、僕も日本人だなぁ」と言っていたが音楽は「蛍の光」だった。
その他、一茂置き去り事件など、枚挙にいとまがありません。
大の巨人、長嶋ファンで長嶋さんに憧れて立大に進学したことでも知られるフリーアナウンサー・徳光和夫さんはプライベートの長嶋さんの横顔を聞かれると「僕は憧れでありますし、本当に尊敬の念を抱いてますんで、どういう人物であるかという客観的な見方ができずに、長嶋さんがいるだけでポーッとなっちゃうところがあるんですね」とまず発言。
その上で「長嶋さんがある方の結婚式の乾杯のあいさつをすることになったんだけど、熱を出されてしまって、わざわざタキシードを着て断りに来たんですよ。もし披露宴の席で何かあったら悪いからって。そういう義理堅さがあるんですよ」と秘話を明かすと「後日、お目にかかった時に『あの時は大変でしたね』って言ったら『熱が出ちゃってね』って。『どのくらい出たんですか?』って聞いたら『3割7分8厘』って。これ、絶対、俺から世間に伝わるだろうと思って、しゃべってるんですね」とそのサービス精神も口にした。
「スターというのはただ輝くだけじゃダメだと。何かしらプラスアルファがなければいけないというのが、長嶋さんのファンに対しての姿勢っていうのか。そういうのが非常に強い方だったというのは客観的に言えると思います」と続けていた。
巨人監督のときに1992年のドラフトで松井秀喜氏のクジを引き当てたのも強運かつ運命だったのかもしれません。後にふたりは同時に国民栄誉賞に輝いています。
そして1996年、巨人は首位に最大11.5ゲーム差をつけられていましたが、そのゲーム差をひっくり返し大逆転優勝をしました。
そのときの長嶋監督による造語「メークドラマ」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選出されました。
現役のとき、当時、友好球団だったドジャース。そのベロビーチキャンプに巨人も参加。
そこで長嶋さんを見たドジャースから譲渡の申し込みがありました。しかし、巨人はウチの看板選手だから出せないと断りました。
現役引退後、それを知った長嶋さんは非常に悔しがったそうです。メジャーに行きたかったと。
野球ファンのみならず日本国民全体のスーパースターでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
ということで、また来週!